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田中徳太郎氏の「白鷺」2008-12-14(Sun)

■今回は白鷺に関する話題です。
私にとっては、これから忙しい季節になります。
週末は仕事が入ってしまい、全く撮影に行けませんでした(涙)
そこで以前から是非紹介したいと思っていた白鷺カメラマン「田中徳太郎氏」を紹介します。

白鷺を誰も撮らなかった時代に・・・・
白鷺の美しさ、鳥の形の美しさを、カメラによって探求し
白鷺の優美なフォルムや白く美しく輝く翼を、数多くモノクロフィルムに焼き付けた方です。
空を羽ばたく白鷺の姿や、翼を大きく広げた求愛のダンス、仲睦まじいカップルの姿など、
白鷺の営みに向けられた、田中徳太郎氏の深い愛情と温かいまなざしが感じられる作品群は
現在でも、すばらしい芸術作品として輝いています。

IMGP0256_R.jpg


■ところで田中徳太郎氏って誰?
昔、日本テレビ・関口宏司会の人物紹介番組 『知ってるつもり?!』で紹介され
そのエンディングの秘話に感動してまい、それ以来ずっ~と私の記憶に残っていた人物です。
ひたすら白鷺を愛し続け、心を通わせた田中徳太郎氏の撮った白鷺の写真は
ニューヨークのメトロポリタン美術館や近代美術館の永久コレクションとして、
またフランス文化大臣賞も受賞するなど、芸術作品としても国内外で高い評価を得ています。
このように白鷺の写真で、世界的に有名なカメラマンなのですが、
今では、ほとんど知っている方がいません・・・とても残念ですネ。

■田中徳太郎氏のプロフィ-ル
1909年埼玉県北葛飾郡幸手町(現・幸手市)生まれ。
40歳の時、24年間在職した国鉄大井工場を退職し、浦和で写真材料店を開く。
1954年より浦和市郊外野田(現・さいたま市緑区上野田付近)のさぎ山に渡来する白鷺の撮影を始める。
1955年白鷺作品、皇居にて天覧を賜る。銀座・小西六ギャラリ-で2人展開催。
1956年アメリカタイムライフ誌、ニューヨークタイムズ誌、スイスカメラ誌など諸外国の雑誌に白鷺の作品が紹介される。
1958年にはニューヨーク近代美術館とメトロポリタン美術館に各1点ずつ永久コレクションとして収蔵。
1959年ベネチア第2回写真ビエンナ-レ展に「白サギ」17点を発表、イタリア全土にTV放送される。
1960年東京銀座、小西六ギャラリ-に「鷺の社会」最初の個展開催。
1961年フランス・モンベリエ国際展でアンドレ・マルロ-文化大臣賞受賞。
写真集「白さぎ」刊行。第11回日本写真協会年度賞受賞。
1963年アメリカ・オ-デュポン協会マイアミ年次総会会場で白さぎ150点の個展。
1966年西ドイツミュンヘンBMWパピリオンギャラリ-で「白さぎ」展開催。
1967年アメリカ・ワシントン・スミソニヤン博物館ギャラリ-で「白さぎ」展開催。
東京国立科学博物館で「白さぎ」展開催。
1970年写真集「しらさぎ」刊行。
1982年にはフランス国立古文書館に50点が永久コレクションとして収蔵。
1985年浦和市シラサギ記念博物館に白サギ作品150点収蔵。
1986年川崎市立ミュ-ジアムに白サギ作品20点収蔵。
1989年11月13日逝去、享年83歳。

■田中徳太郎氏のフィ-ルド
東京から車で1時間ほどの埼玉県浦和市野田。
現在の埼玉スタジアム2002のあたり。
ここはかって特別天然記念物に指定されていたほどのシラサギの群生地でした。
田中徳太郎はこの「野田の鷺山」に魅せられ、昭和29年からサギが姿を消す昭和47年まで
毎日通い、シラサギの写真を撮り続けました。

○野田の鷺山(さいたま市HPより)
「「見沼の東部地域、野田にはかつて「野田の鷺山」と呼ばれる1.4haものサギの営巣地がありました。
この地にサギが営巣するようになったのは江戸時代中期、徳川吉宗が将軍であった享保年間のことです。当時浦和周辺は紀州徳川家の鷹場であり、なかでもさぎ山は御囲鷹として特別に保護されていました。
泳ぐことのできないサギにとって、底が浅い水田は格好の餌場となります。広大な見沼たんぼは、ドジョウ等の魚介類や昆虫類の宝庫であり、多くのサギが営巣しました。訪れるサギの種類はチュウサギ、コサギ、アマサギ、ゴイサギ、チュウダイサギの5種でした。
野田のさぎ山は明治・大正の頃は禁猟区として保護され、昭和13年(1938年)には国の天然記念物に、昭和27年(1952年)には「野田のサギおよびその繁殖地」として国の特別天然記念物に指定されました。 昭和32年(1957年)頃に営巣は最盛期を迎え、巣の数は6000個、親鳥だけで1万羽、ヒナを合わせると3万羽にもなりました。遠くから見ると、雪を散らしたかのように林が真っ白に見えたということです。
しかし、昭和40年頃からその数は激減し、ついに昭和47年(1972年)にはサギが営巣しなくなり、250年間にわたるその歴史に幕を閉じました。これにともない昭和59年(1984年)には、国の特別天然記念物の指定が解除となりました。
サギが営巣しなくなった原因は定かではありませんが、農薬の使用による餌の減少、住宅の増加による竹林の減少、道路整備による交通量の増加、餌場となる水田の減少などにあると考えられています。
現在、この地には「さぎ山記念公園」があり、園内にはサギ山の歴史について伝える「さぎ山記念館」があります。」」

■「白鷺」撮影用に・・・撮影櫓と望遠レンズ
○撮影櫓
野田のサギ山と言っても、5件の農家が所有している民有地です。
少しでも白鷺に近づくために櫓(やぐら)を建てることを決意し農家の竹林所有者に許可を得ようとするが、断られ続け・・・一生懸命、熱意と誠意を持って懇願し・・・
やっとの思いで10メートルを超える大きな撮影櫓を建てることが出来ました。
長い丸太をつなぎ、4本柱を建て四方を縄むしろで囲み、要所要所にレンズ窓を切った櫓です。
一年ごとにこの櫓は改造され・・・高さ10メ-トルは15メ-トルへ、
さらには木造限界の22メ-トルの高さになった。
この櫓に潜り込み、時には幾度となく夜も過ごし・・・・数々の傑作が生まれました。

○望遠レンズ等の使用機材
田中徳太郎氏が白鷺を撮り始めたのは、今から50年以上前です。
当時、1000ミリを超える超望遠レンズなど全くなく、
あっても普通の人が買える値段ではありませんでした。
そこで特注した望遠レンズが、直径3センチのレンズを2枚張り合わせたf1000㎜F20のレンズです。
形は細長い屈折天体望遠鏡そのもので、その後レンズも改良され直径15センチF11、
さらにf1500㎜のレンズになりました。
現在、私は天体望遠鏡のBORGを使用して鳥の撮影をしていますが、田中徳太郎氏はある意味
我々の元祖のような方です。

愛機はNikon F 
レンズはNikkor200㎜~600㎜と特注レンズ
フィルムはNeopan SS

■ 『知ってるつもり?!』エンディングに紹介された秘話とは・・・
16年間サギ山に通い、白鷺を撮り続けた田中徳太郎氏は、
年々サギ山の営巣数が減少していくのに気付き、心を痛めます。
特に昭和40年頃からサギの営巣数は激減し始め、この頃になると撮影とともに
弱ったサギの保護活動に力を入れるようになりました。
TV番組『知ってるつもり?!』では、エンディングに次の秘話が紹介されました。

「1989年11月13日の病院の話です。
田中徳太郎氏の病室を見下ろせる1本の大木に、
大変珍しいことに一羽の白鷺が舞い降りました。
それから・・・・
また一羽、また一羽と・・・
次々に白鷺が舞い降り、見る見るうちに大木が白に染まりました。
それは、あたかも田中徳太郎氏との別れ惜しむかのように、
田中徳太郎氏の臨終とともに、
白鷺は何処かに飛び去りました。」   

私は当時、このTVを見てて、この秘話に大変感激しました。
これ・・古い話なのでかなり記憶違いがあるかもしれません。

■写真集 
既に絶版になっています。私はヤフオクで、2冊入手しました。

「白サギ」東京中日新聞社1961
「しらさぎ」講談社1970
「白サギの詩」岩波書店1982
「田中徳太郎 作品集 白鷺-天空のファンタジア」玄光社1989

IMGP0246_R.jpg

■田中徳太郎氏の白鷺の写真を見てみたい・・・
埼玉のシラサギ記念自然史博物館に田中徳太郎氏の写真が1000点ほどあったらしいが
残念ながら2007年3月末に閉館しました。
写真展が良く開かれていますので、根気よくチェックするしかありません。

■次回は深瀬昌久氏「鴉」の紹介です。
・・・・これは冗談。文章力の無い私にはとても紹介できません。
深瀬昌久氏「鴉」は絶版本で、一時1冊30万円もしていました。
気が向いたら嶋田忠氏の絶版本「カワセミ 清流に翔ぶ」について何か書くかもしれません。

以上、まとまりのない文章で申し訳ありません。
田中徳太郎氏のことを皆さんに紹介できて、とても嬉しいです。

Fc2blog - ジャンル:写真 » テーマ:今日の独り言

Comments(2) | Trackback(0) | その他

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Comment

感動しました。

今、私の家の近所(さいたま市岩槻区)にサギのコロニーがあります。かつての野田のサギ山に興味を持ち、調べているうちに、このページを見つけました。

田中徳太郎氏の臨終をサギを見守ったお話し、とても感動的です。日々の観察の励みになります。

2010-07-10 20:18 | URL | 藤田和彦 [ 編集]

藤田和彦さん こんばんは~
お陰様で、私も久しぶりに田中徳太郎氏の記事に
目を通しました。とても感謝いたします。
今、読み返すと大変稚拙な文章でお恥ずかしいですが、
書いた当時の気持ちが思い出され、懐かしくなりました。
それに全く気付かないうちに記事の拍手マークが、
15にもなっていて・・・これには驚きました。
大変古い記事なのですが、書いて良かったと思っています。
藤田和彦さんもサギが大好きなんですネ~
田中徳太郎氏のお引き合わせと思って、これからも
よろしくお願いします。    

2010-07-10 23:14 | URL | 花助 [ 編集]

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    「とほ・ほ・・ほと」です。

    ・世田谷在住の親爺で~す。
    ・趣味はカヤック、風景や野鳥撮影
    ・好きな所 信州
    ・撮影機材 オリンパス
           キャノンとペンタックス

    ・天体望遠鏡と骨董レンズによる野鳥撮影に凝っています。

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